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日記を元にした家譜には、ペリー来航の半年前の1/24に福山を出立し、てくてく歩いたり船に載ったりして2/13に江戸阿部屋敷に到着し、品川警備に回されています。たぶん、この頃には、日本中に「アメリカはマジで来るらしい」で沿岸警備のための動員が行われていたもよう x.com/bakagane/statu…

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銅大@bakagane

亡くなった伯母の家を整理していて出てきた母方のご先祖様の家譜についた家系図の最初「藤原氏」があって、五十七代まですっとばして書いてあるのは幕末から。日記なんかの記録が残ってたのがそのあたりでしょう。『嘉永六年三月貢兵に撰まれ品川守備仰附けらる』あ、ペリー来航のヤツや。

銅大@bakagane

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品川の沿岸警備とはいいましたが、高祖父の出自は備後国沼隈郡の百姓で、ペリー来航時は年俸3両2分の武士の最低賃金でパート警備員(家譜には貢兵という呼称が使われている)だったらしく、このへんも武士の多くが実戦力としてはアテにならなくなってきた幕末のドタバタぶりを伺わせます。

銅大@bakagane

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