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一方、正成はどう考えていたかですが、正成のような立場の者が大国河内の国守になるというのは、現代人の感覚からは想像もできない恩義を感じただろうと思います。そして、後醍醐個人に対しても惹かれていたのだと思います。結果、けつをまくることも出来ず、とぼとぼと八日もかけて湊川に到着。

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正田前 次郎/歴史・小説@shodamae_jiro

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あとは一か八か。足利直義を狙って敵戦力の削減を図ろうとすれども失敗。ここで逃げなかったのは、目利きなだけに、再戦しても勝つ見込みはない。帝や世間からそしりを受けたくない。ということで逃げ場を失った結果かなと。

正田前 次郎/歴史・小説@shodamae_jiro

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