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箸墓古墳が卑弥呼墓であることは、今城塚古墳=継体墓に準ずる「ほぼ確実」なことで、年代の定点 とすることができる。 さらに、箸墓型前方後円墳から箸墓古墳も生前造墓で、死没後モガリを経てまもなく埋葬されたと考え、250年前後に特定できると考えた。 ↓
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これは前方後円墳共有システムの立場から判断したものである。よって、箸墓古墳の埋葬時期≒ 250年を堅持する> →岸本氏は「箸墓古墳が卑弥呼墓はほぼ確実」の見解。 それを「年代の定点に出来る」との見方も含めて当方も同様認識 しかし同センターの寺沢所長は大きく異なる主張を著書で提示 ↓