ポスト

個人的に徳川家康の最大の功績の一つだと思う 関東平野の魔改造 昔の関東は千葉なんかは島みたいな感じだし、江戸は利根川がぶつかるなど

メニューを開く

jack 内府@nakedboss1964

みんなのコメント

メニューを開く

畿内の我が強くて、歴史的な因縁がいろいろある地から距離を起きたかったのでしょうかね。  歴史の無いところを人工的に一気に開発することが後々発展に繋がるのはアメリカとかに近いのかなと。

メニューを開く

家康が大改造の最中に長らく鎌倉の円覚寺の領地だった江戸前島を横領して周辺を埋め立て地図も書き換えて既成事実化しちゃったのはあんま知られてないっぽい pic.twitter.com/mzg4czK9Rv

メニューを開く

河を付け替えて、運河を掘って、沼や干潟を干拓して、山を崩して海を埋めたてて・・・と武蔵、下総を別物に変えたイメージを持ってます。

相州放浪者@sohsyu652700

メニューを開く

江戸時代の利根川東遷事業は水運が主目的。洪水時には旧利根川が主な流路で治水は不十分だった。それが改善されたのは20世紀。幕府の功績は利根川については小さい。 1704年の大和川付け替え工事は治水と新田開発に成功。これが徳川幕府の最大の土木事業業績。 ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7…

princeofwales1941@princeofwales19

メニューを開く

煬帝「魔改造といえば、その1000年前に2500キロの運河を作りました」  始皇帝「俺はその800年前に万里の長城を」    何故か嫌われて短命な政権に終わるお二人、こういう前例もあり大規模開発はタブーになっちゃう。 ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC…

満州中央銀行@kabutociti

メニューを開く

昔の房総半島は、横須賀・走水から海を渡って行く土地でした。だから南の方が京都に近い「上総」と呼ばれ、東京に近い北の方が「下総」と呼ばれています。ちなみに南端の「安房」は、黒潮に乗った阿波の移民が開拓した土地なのが由来です

友引(甲甲甲甲)@tomobiki10

メニューを開く

特に伊那忠次の治水事業は特筆に値しますね。その名は出身の長野県だけではなく埼玉県にも茨城県にも「伊那」の地名が残っていることで偲ばれます。 pic.twitter.com/5z58zUUthw

メニューを開く

湿地帯だった関東を平野になるまで治水事業を行ったって間違いなく王業なんですよね>古来より治水は王業 古来より京都が政治や経済の中心だったのはそこくらいしか広い平野がなかったからで、いわばもう一つの京都(政治と経済の中心地)を作ったに等しい大事業

アオミドリ@Aomidori2021

メニューを開く

【元千葉県在住者】 千葉県は今でも実質”島”ですねwww (河道変遷で飛び地は出来ましたが) 北海道と沖縄県しかないと思われてる 「他都府県と水域でしか接していない県」 (上記”飛び地”部を除外) なんですよね。 唯、当時は今よりも各河川は流量も多く 渡河が容易でなかったとは見ますが。

山崎 美鶴@harima1330057

メニューを開く

秀吉の街づくりを家康は参考にしたかも 秀吉は巨椋池など干拓やらで大規模土地改良に成功していますからね pic.twitter.com/CRIdZJQUwc

浪速シオリーヌ@naniwagenji

Yahoo!リアルタイム検索アプリ