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倭城の石垣石材は、どこから持ってきたのか?前述のように松真浦倭城、金海竹島倭城、亀浦倭城、安骨浦倭城、順天倭城では、城の麓に残石や石取り場が残る。城の近くから石材を調達するのは、至極当然の発想であろう。何なら石材の採れる場所を選んで城を築いた可能性すら→ ♯なんか見た(倭城編)

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堀口健弐(自称城郭研究家)@horiguchikenji

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→考えられる。おそらく徳川の天下普請のような、遠方から遥々石を曳いてくるような事は無かったのだろう。もう一つ考えられるのは、既存の朝鮮側の城郭からの転用である。韓国では、加藤清正が攻略した蔚山兵営城の石垣を崩して、蔚山倭城の石垣に転用したとい伝えられている。倭城の近くには、朝鮮→

堀口健弐(自称城郭研究家)@horiguchikenji

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