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今日聴いてたフィガロはまったくそういう演出じゃなかった。 伯爵夫人、まったくスザンナに打ち解けてなかった。侍女に命令して書き取らせている態度だった。ハーモニーの美しさは、スザンナが唱和しているのではなく、ただ従順に復唱しているからだった。 こっちの解釈の方が私には納得なのよね。

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三浦真弓 / Mayumi MIURA@mayumiura

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そういう伯爵夫人と伯爵だから、最後の「赦し」の場面でも、ただ召使たちの手前、やむなく「貴族らしく」振るまっているにすぎない、という赦しの乞い方であり与え方だった。 いや〜〜これが寒々として実によかったっすよ。ダ・ポンテはこの「後味の悪さ」こそが真骨頂だよね。食えない親父だよ。

三浦真弓 / Mayumi MIURA@mayumiura

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