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ジュリーニについて。「1942年、ローマで知り合った実業家の娘、マルチェッラ・デ・ジローラミと結婚。その後、イタリア陸軍に従軍し、パルチザン掃討のためクロアチアに赴きますが、そこでの経験が彼を平和主義者に変え、強固な反ファシストの考えのもと、ローマに」続くhmv.co.jp/news/article/5…
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ジュリーニの反ファシスト活動については恥ずかしながら全く知らなかったが、サロネンによるジュリーニ追悼文の翻訳と思われるものが見つかった。「(承前)戻ったのちに軍隊から離脱、ポスターなどで手配されるものの、妻の叔父の家にある秘密の部屋に9ヶ月間潜伏して終戦を迎えます」