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岩波文庫の『紫式部集 付 大弐三位集 ・藤原惟規集』によると “祖父為時がかつて左少弁をつとめ、また越後守であったから、祖父の官職によって「越後の弁」と呼ばれた。” とありました。 『平安時代史事典』や『紫式部伝 平安王朝を百年見つめた生涯』を見たところ宣孝が弁官だったかみつからず💦 pic.twitter.com/uU2F6A9QIE

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みんなのコメント

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学習マンガの絵で見ただけですが、賢子の裳着の腰結役は為時がしていました。私はそれは十分あり得ると思っています。 だから、後見の為時の官職に因んで候名が付けられたその記述に納得できます。

葉つき みかん@hmikann

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ありがとうございます。私もWikipedia情報だから裏を取らないとなぁと思っていたのですが、宣孝が弁官説は違いそうですね。 だからって、候名の由来が母方のみイコール父が言えない人という説はなぎさんも、聞いたことはないですよね?調べた事はないですが、父が亡くなっていたら母方由来で呼ばれ

葉つき みかん@hmikann

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るのは、ありそうですよね?

葉つき みかん@hmikann

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