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甲相駿三国同盟のときは、幼い早川殿の代わりに氏規が今川家へ人質として入った。 このとき同じ境遇の徳川家康とは、家が隣同士だったと云う。 北条家の滅亡後は、氏直に従って高野山に入る。 のち氏直は秀吉に許されて大名に復帰。 氏規の子の氏盛が北条家を継いで、河内狭山藩は明治まで存続した。 x.com/bushonori/stat…

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武将のり公式@bushonori

戦国「武将のり」 武将紹介 北条 氏規 ほうじょう うじのり 1545~1600 北条家一門、北条氏康の四男。 主に北条家の西方面を担当し、武田家や里見家、徳川家とも争う。 当主氏政の名代として、豊臣秀吉と幾度の交渉に及ぶ。 だが尽力むなしく、結局は小田原征伐を招くことになり北条家は滅亡した。 pic.twitter.com/6ijpZGf5iq

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