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②名字(家名)と侍身分 名字がないから、侍ではないという非難が寄せられています。確かに、名字(家名)の有無はとても重要な論点です。しかしながら、戦国期には、名字がなくとも侍身分である人物がいるのです。一番わかりやすい事例を紹介しましょう。

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K・HIRAYAMA@HIRAYAMAYUUKAIN

みんなのコメント

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永禄十年八月、武田信玄は、甲斐・信濃・西上野の一門・譜代・国衆・国衆の陪臣に起請文の提出を命じました。著名な「生島足島神社起請文」(下之郷起請文)です。その中に、信濃小県郡の国衆小泉喜泉斎重永・小泉内匠助宗貞の連署起請文と、小泉被官連署起請文があります。そして、「 上…

K・HIRAYAMA@HIRAYAMAYUUKAIN

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弥助は武士や侍(信長の用人)ではなかった、ではなくて 「弥助は武将や大名ではなかった」って話だと思う 姓(家名)も家紋も持たない武士(ただの用人)が、前立てのついた立派な武将の甲冑を着ているって 流石にそれを史実扱いは無理でしょう そんな鎧は残ってないし、記述も記録もない pic.twitter.com/evZ86XPbo7

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横から失礼します。 西股氏の書籍「戦国の軍隊」において、武蔵松山城の“筆頭格城将 狩ノ介”という人物 が紹介されてるのですが、この人も名字が無いものの、軍勢を率いる身分として出てきます。 侍なのか、そうでないのか判断が付かない史書の人物は、かなりの数居るのではないでしょうか?

帝国兵下士官@teramotoMa39026

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弥助が侍かどうかが問題だったのはもはや初期の話で、UBIの歴史改竄、著作物無断使用、文化財無断使用、AI画像の高額販売、日本人人種差別問題だけに収まらず、ロックリーの歴史改竄、黒人奴隷問題の日本への押し付けなど、次から次に臭いものが出てきてお祭り状態ですね。

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海外から来たヤスケさんが 武士に取り立てられるのって どこかの家系に入ったりしないとダメでは? 斎藤道三の国盗り物語とかの話みたいに 野武士や盗賊を取り立てて家臣になったり するもんなんでしょうか?

漆黒の翼RDRを手にした者@AionMukade

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いくさのときに集められた足軽の人も、 合戦中は、一見サムライに見えますからねえ

宮崎恵都夫@QgAxP32Y8J81192

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弥助どうこうより興味深いお話です。ありがとうございます。

あかいぬ@akainutei

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「ウィリアムアダムスは、三浦に住んだので『三浦按針』と名乗った」と、「英雄たちの選択」でやってましたね

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当時の資料が残っていてそこからの事例紹介、大変わかりやすかったです。平山先生としては当時の資料の少ない弥助の身分についてはどうお考えなのでしょうか?

素敵マン@ODSEAwd1N8nMbHp

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う~ん 必死

出口哲也@アマビエ様・疫病退散@kumabasiri

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