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歴史学者「弥助は信長に仕える『侍』身分であったことはまちがいなかろう」、日本に黒人奴隷制があった? →「それは悪質なデマ」 sn-jp.com/archives/169767
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全てプロパガンダなのだと思います。 皮肉にも「イエズス会士は奴隷制に反対でアフリカ人を伴う事はなかった」の記述によって(嘘だから) これをきっかけに本能寺の変の(弥助がイエズス会のスパイという)イエズス会黒幕説が信憑性を持ってきました。 sengoku-his.com/828
これに関しては海外の政治的イデオロギー闘争に日本が巻き込まれるというものすごいはた迷惑な背景があります。弥助はリベラルのアイコンであり、保守派がそれに反発する。すると双方が日本の歴史を修正する。これが思想戦です
「今回はローマのイエズス会文書館の原本に当たり、翻訳掲載の許可も頂いたのです。すると、これまで知られていた日本語訳とはいくつか異なる点があることがわかりました。改めて詳細に分析することで、明智家とイエズス会がかなり近しい関係であったことがわかり」 bunshun.jp/articles/-/431…
とりあえず「なんちゃって侍だったのでは」との個人的見解は勝手ですが。 「最強の侍で歴史に大きく関わった。その優秀な血を入れようとモテモテの種馬だったし、なんなら侍の魂を日本に持ち込んだのが弥助だった」なんて向こうで広まりつつある乗っ取り史実は許せませんね。
侍の身分であったことも、検証の必要が山ほどあります。 今まではグレーゾーンでしたが、アサクリの一件でここまで延焼してしまった以上、弥助はいわゆる侍ではなく信長の召使いである、と海外向けに発信しておく必要はあるかと思います。
太刀・刀なのか脇差・短刀なのかで全く話が変わってくるのでそこは重要ですね 江戸時代の話かもだけど確か商人などの町人も脇差までは所持出来たし、旅行に行く際は脇差の帯刀も許されていたと記憶してます 刀と脇差を大小と呼び武士以外で二本挿しを許されていたのは力士だけ 刀か脇差かで扱いは別格