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村人たちは「弥助の子孫」であることを誇りとし、生まれた長男には「弥」の字を充てていた。 弥助からキリシタンの信仰を受け継いでいたが、元和年間からのキリシタン迫害時には、「弥」の字が「耶蘇教」を連想させるという理由から、次第に「弥」を名前につけることを忌避するようになったという。
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村人の一部は、かつて共に黒田家の家臣だった後藤又兵衛に付き従い、大坂の陣で「キリシタン保護」を約束した豊臣方に付いて戦った。 また、由井正雪の乱(慶安の変)を由井らと企てた槍の名手・丸橋忠弥を弥助の子孫とする資料もある。 「丸橋忠弥」の「弥」の字は「弥助」の「弥」だそうだ。