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飢餓塚(京丹後市) 天明の飢饉の際、久美浜にあった5軒の廻船問屋の大商人は蔵を開放して粥を提供した。これを聞いた丹後・但馬の者は大挙して施しを受けたが、中にはその行列の中で力尽きて亡くなる者も多かった。飢饉後に野晒しとなった骨を集め墓を築いたので「群霊曝骨墓」と号された。 pic.twitter.com/O8fVxkDLT9

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日本伝承大鑑@japanmystery

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カジン堂(京丹後市) 同じ久美浜町の内陸部にある。天明の飢饉の折、村では餓死者が続出し、さらに疫病が発生した。そのため多くの骸が、村の加持祈祷をおこなうお堂(カジン堂)のそばにまとめて棄てられた。その後、死者を供養する石碑が建てられ、現在も地蔵などが大切に祀られている。 pic.twitter.com/EYbxHsyUVb

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