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「石川九楊大全 後期」へ(上野の森美術館)。 相変わらず「真っ暗な(または真っ白な)部屋にひとりで籠って言葉を浴びる」ような書だなと思った。叫び、嘆き、囁き、朗々と唱えられる言葉、あらゆる声が紙から聴こえる。 その中で、静かな闇がひたひたと染み込む静謐な作品《無門》も久しぶりに見た。 pic.twitter.com/CitnaSeOcy
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句のところまでは「一見絵に見えるけれどよく見れば読める」が、その先(5章)は読めない。読めないので、もう表情を見るに徹する。それもまた楽しい。 石川九楊の書を見るたびに、『蟲師』の狩房淡幽を思い出す。体の中にある言葉が、筆や墨を使わず指から滲み出てくるように見える。