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彼らは禁教令が解除された1865年、大浦天主堂を訪れ、イエズス会のプティジャン神父に、自分たちはキリシタンであると信仰を告白した。 神父はローマ法王庁に報告したが、白人宣教師が棄教した一方で黒人の子孫が転ばずに信仰を保ったことを秘匿したい一部勢力により、報告書は葬り去られたという。

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UENO Yohei(上野庸平)@chinyubo

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これは、私が九州の山を調査中に、地元の古老から聞いた話。 古老の名は平十字(ひらとうじ)と言ったと記憶しています。 「史料はあるのか」というリプをいくつかもらいましたが、戦時中に空襲で焼けてしまったそうです。

UENO Yohei(上野庸平)@chinyubo

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