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地元の博物館に黒人と日本人が相撲を取っている屏風があるのですが、1605年ごろ(江戸幕府草創期)の作なので桃山時代も同様の風俗であったと類推できます。相撲好きの信長が興で力自慢の弥助に相撲を取らせてもまったく不思議ではないような気もします。 ※『相撲遊楽図屏風』(拡大) 堺市博物館 蔵 pic.twitter.com/6KEFzT0vTO

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六衛府@yukin_done

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兵農分離は秀吉の刀狩り、家康の江戸開府で確立しますが、桃山期以前、信長の頃までは百姓でも一人前の大人であれば自衛目的で帯刀していました。古来より続いた成人儀式も15世紀ごろには烏帽子親子から刀剣を与える「刀指の祝」に変化していきました。信長の時代の帯刀は武士の証にはなりません。

六衛府@yukin_done

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