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もちろん社会主義と法の支配の話は国家の死滅が前提としてあるし,仮に国家が消滅しようと法規範は依然として必要であるとする批判は左翼内でも当然存在するものの,マルクスやエンゲルスらの記述を忠実に読み一貫性を持たせると確かにこの帰結になる
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一方で法の概念を修正し分配的正義(とlisenceの拡張)に合法性を持たせることで国民国家の権限を強化し,個人の自由を保護するという本来の法の支配の役割を縮小させているというリベラルの抱える問題はこれと直接的な関係がないため,右派の法理論への挑戦ですら両者を同一視することは当然できない