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しかし、そんな領域は現実にはあり得ないから、このユートピア小説は必然に絶望小説たらざるを得ない。 「考えれば考えるほど、彼が光栄を獲るためには、世界のひっくりかえることが必要だった。世界の顛倒か、光栄か、二つに一つなのだ。」 『偏愛的作家論』澁澤龍彦
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死のユートピアから吹いてくる甘い風に酔うことを知らないロマン主義者とは、いったい、どんなロマン主義者であろうか。 したり顔のトーマス・マン先生ならいうだろう、「それは淫蕩の思想です」と。 事実、『午後の曳航』は淫蕩な思想の小説である。 『偏愛的作家論』澁澤龍彦