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他人は自分に都合よく”使うもの”だから、「対話」も自分が理想とする形で成立しないと、「相手が対話に応じなかった」という他責にする。 だって、自分は本で読んだり、教わったりした通りの理想形に持っていこうとしたのに上手くいかなかったのだから、相手の責任でしょ…という思考回路をしている。
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確かに、自分が努力しても快適なコミュニケーションにならないときはある。 しかし、だ。 そもそも対話は一人一人別々の人間同士が行うのだから、そのやり方は相手ごとに違っていい。快適さ、安心感を両者で模索する。 万人に適応した単一の「理想形」があるという前提がおかしくないか?と私は思う。