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「中津森」の初見は、『勝山記(妙法寺記)』の永正18年(1521)2月、武田殿(信虎)が郡内を訪れた折ですが、付近の桂林寺創建は明徳年間とされ、寺に立てられた板碑の銘には「応永二年(1395)三月一五日」とあることから、小山田氏は明徳以前に中津森へ居を構えたのでしょう #とある甲斐郡内の訪問アルバム pic.twitter.com/QOW5NlB125
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武田信虎が中津森を訪れたのと同じ永正18年2月、甲斐は今川方の福島某によって侵入されますが、信虎の軍はこれに対抗し、敵将・福島某を討ち取っています 小山田氏は、この猛将・武田信虎と、嫡子・晴信の代で武田家臣団に組み込まれていきますが、それでも半独立領主であったとされています