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湯殿山には4つの別当寺院があり、大日坊と注連寺を表口、本道寺と大日寺を裏口と言った。しかし、同じ別当寺院でありながら、表口二ヶ寺と裏口二ヶ寺には格差があった。どういうわけか、裏口二ヶ寺の寺領は寺社地として非課税だったのに対し、表口二ヶ寺の寺領は百姓地扱いで課税されていた→

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親魏倭王(元学芸員:考古学)@yamato_ouken_02

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のである。そのため、表口二ヶ寺は年貢で財政が圧迫されていたらしく、何らかのかたちで収入(喜捨)を得る必要があったらしい。これもまた、即身仏信仰誕生の背景と言われている。即身仏となったのは湯殿山の一世行人(別火、非妻帯を義務付けられた下級の行者)だったが、明海上人を除き、→

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