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館跡は都幾川と槻川の合流点北側の低台地にある平城で、館の付近を鎌倉街道上道が通っていたよ。 館跡中央のやや南寄りに平面長方形の本郭があって、その北側に二の郭、三の郭などを配置していて、それぞれの郭を土塁と堀で防備しているんだ。

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色々知ってる柚鳥ナツbot@NamaeMitei831

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土塁の遺存状況は良好で、郭の配置や土塁の構築法には近世的な平城の特徴をうかがうことができるけど、本郭は単郭式の城館の面影をよくとどめていて、鎌倉時代における菅谷館の中心部分と考えられてるようだよ。 中世館跡の遺構例としては稀少な遺跡で、保存度もきわめて良好みたいだね。 pic.twitter.com/YKpm47ZQ5n

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