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定子が亡くなった直後のこの頃(西暦1001年頃)、一条帝は定子さまの妹である御匣殿(みくしげどの)に通っていました。定子さまの面影を追っていたと言われています。 #光る君へ

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たられば@tarareba722

みんなのコメント

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なんだか宇治十帖の、大君に失恋して、中君や浮舟に通う薫大将みたいですね…。

神無月 風@低浮上@misawo_kanna

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定子さまが亡くなったあと、幾重もの御簾の内にただひとり、御簾の外にも誰もいない中での一条帝の後ろ姿が映されたときに、「ああ、この方はほんとうにひとりぼっちなんだ」と胸が締めつけられました。亡き人の面影を追わずにはいられない・・・光源氏もそうでしたね・・・

おふとん@v9VDNQGSHhrEAYD

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「妹であれば似ているであろう」

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まぁ、やつれたお姿と比べると美しさに欠けるな、、、大河的には、史実を描きたいとは(これまでも、多分、これからも)思っていないんですもんね!😆一条帝にはずっと美しいまま、いっていただきたいです。

🫐はび🫐国葬に値するのは中村哲さん@ペシャワール会@babilema_t

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忯子様を亡くしたあとその妹君の儼子様に通う花山院と似てますね…😅

ウォームレス@onodera8028

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そうなんですね。ただただ傷心の日々かと思いました

ほおあか@hooaka2

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