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応仁の乱などのために30数年間中絶していた祇園会が再興されたのが明応9年(1500)。この前々年の8月25日に東海道が全滅した明応大地震・大津波が起こっていて、この災害が引き金になって世は戦国時代に突入する。祇園会は発祥も再開の時も、大地震とそれに伴う災厄を鎮める目的でスタートしたのだ。

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麻川好史@asakawakoushi

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応仁の乱は、実は関東で起こった享徳の乱が畿内に波及した戦乱だった。享徳の乱は享徳3年(1454)12月27日に鎌倉公方の足利成氏が関東慣例の上杉憲忠を誅殺したのが発端だが、実はその1カ月前の11月23日に東北で東日本大震災級の大地震・大津波が発生しているのだ。

麻川好史@asakawakoushi

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