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応仁の乱は、実は関東で起こった享徳の乱が畿内に波及した戦乱だった。享徳の乱は享徳3年(1454)12月27日に鎌倉公方の足利成氏が関東慣例の上杉憲忠を誅殺したのが発端だが、実はその1カ月前の11月23日に東北で東日本大震災級の大地震・大津波が発生しているのだ。

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麻川好史@asakawakoushi

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祇園会で祭られる牛頭天王、その正体とされるスサノオノミコトが、地震とその後にくる疫病などの災厄をつかさどる神格であろうというのが保立道久さんの卓見である。全国の中世都市の名残を伝える町場で、夏に一斉に行なわれる祇園祭・天王祭は、明応の大災害をきっかけに始められたのかも知れない。

麻川好史@asakawakoushi

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