ポスト
→たとえば「キュロスはどのような人物であったか」「ペルシアはどのようにしてアジアの指導権を握ったか」などといった様々な問いに対する自らの研究成果が載る。 司馬遷の『史記』に「天道、是か非か」という問いがあることはよく知られている。 イブン=ハルドゥーン『歴史序説』では、→
メニューを開くみんなのコメント
メニューを開く![](https://rts-pctr.c.yimg.jp/BgIFgYJGVIVv8u0nVJvw8B2FauAYMF4jOP5zFJAV4i5e72TLbER0xQeK1l8ZZ0OLi-4Rb8w76aOYoVrvlDr206w4dDqiieDSK73Xu7SspPwvJuxf7NPBicENiPsQxYFxKvCVYRZX13qLLwvzItI0M9Sz1fjKh4nlFc19LtlBttV7X_Ckz7SxbxoxZ_nne4iqNb4h7IFn3vPTV7x0aTjHRk-0U0-tBJtcSxfb2amwmIg=)
→歴史が外面的には「どのようにしてある国家がその疆域を広げるか」などといった問いを理解させてくれるものであり、内面的には「思索」「真理の探究」といった哲学、つまり問いであることが述べられる。そして、それに続いて、過去の高名な歴史家たちですらその叙述に誤りがあることを述べるが、→