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→歴史が外面的には「どのようにしてある国家がその疆域を広げるか」などといった問いを理解させてくれるものであり、内面的には「思索」「真理の探究」といった哲学、つまり問いであることが述べられる。そして、それに続いて、過去の高名な歴史家たちですらその叙述に誤りがあることを述べるが、→
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→これはまさに、彼らの叙述が正しいのか、という問いの積み重ねである。 マルク=ブロックは『比較史の方法』(ですよね?)で、「史料は証人である。それは質問されなければほとんど何も語ってはくれない」というようなことを言っている。 もっと最近の人を出しても良いだろう。→