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▲ブー爺:NHK『絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城』⑧小田原城天守 ワシは小田原城主が摩利支天を祀ったとしても、常民のためという論理には納得できない。元禄年間後、徳川吉宗が足高の制で大岡越前のように武士を登用し、酒匂川の氾濫工事をさせた。公共事業は領民を救ったと考えられるが、 pic.twitter.com/HkanwdYbt8

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▲ブー爺:NHK『絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城』⑧小田原城天守 元禄16年(1703)元禄の大地震では天守や櫓などが倒壊。宝永3年(1706)。天守が再建。吉宗の酒匂川氾濫工事と財政安定策。安政の大地震でも被害を受けたが、天守が幕末まで生き残った。明治3年、天守解体工事が行われた。 pic.twitter.com/c1cTrnVapc

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▲ブー爺:NHK『絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城』⑧小田原城天守 天正18年(1590)、北条氏が滅び、豊臣秀吉の関与(『徳川御実紀』)で大久保忠世が入城し、天守の築城開始。慶長19年(1614)、大久保忠隣は改易処分。井伊直孝に預けに。寛永9年(1632)稲葉正勝の時に総石垣の城に。 pic.twitter.com/ptwP7Aiwle

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