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徳川慶喜は大阪から退去する際、会津藩主松平容保と桑名藩主松平定敬を騙すように同行させた一方で、鳥羽伏見の総督松平正質・副総督塚原昌義・陸軍奉行竹中重固の三名には大阪城残留を命じている。
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この残留命令、「自分に開戦を無理強いしといてこの惨敗、主君が言わなくても徳川譜代なら責任の取り方は解ってるよなァ?」なんだけど、三人は大阪城を捨てて江戸に逃げ帰り蟄居を命じられた。 副総督の塚原など軍艦富士山に乗船を試みて負傷兵に「恥を知れ」と罵倒され追い返されている。