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語っておきましょう。 冷泉帝は桐壺帝と藤壺の子です。 あくまで、表向きは‥‥ しかし、実は父親は光源氏なのです! 脱線してしまいましたので、話を戻すことにいたします。 「賢木」には次のような記述があります。 十六にてこ宮にまゐり給ひて、廿にてをくれたてまつり給ふ。卅にてぞ、
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けふまた九重をみ給ひける。 (十六歳でお亡くなりになった東宮の妃となられ、二十歳で夫に先立たれた。そして三十歳で、今日再び宮中をご覧になった。) これは「桐壺」での記述と矛盾するように思われます。 というのも、次のような記述があるからです。