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2019年7月、ターミナルケア経て亡くなった長崎原爆被爆者の私の父(これが常套句化なのも結構地獄。でも、ご同意頂ける方々に感謝)。同年翌月墓参りに。その際、父が最もお世話になった90歳(当時)の伯母から原爆投下直後の話を聴く。地獄。伯母の話が地獄なのではなく、伯母が見たモノが地獄。

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Dark Knight@DarkKnight_jp2

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私の父の実家もちょうど長崎の爆心地近くにありました。父方の祖母曾祖母と郵便局で働いていた叔母(父の妹)の3人が原爆で亡くなり、出征していた父と仕事に出ていた祖父の2人だけ生き残りました。長崎は危ないので島原に来いと親戚から言われていたが曾祖母が寝たきりで行けなかったそうです。

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当時90歳の伯母(父の姉)から聴いた話。長崎原爆投下日1945年8月9日。昔から不思議だったのが、時代が違うと言えど、長崎原爆の日、当時も夏休みの時期なのに多くの子供たちが学校で被爆し、亡くなっている方が多いこと。長崎原爆投下後、8月9日は平和教育の為に登校日になったが、それは以後の話。

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