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寛弘元年年10月、斉信は従二位に昇進する。官職では公任が上だが、官位では斉信が公任(正三位)を上回ってしまう 公任はショックを受け、出仕を拒否する 辞表も提出するが、翌年7月に公任も従二位になることで決着する 辞表は大江匡衡が書いた。妻の赤染衛門が助言したことが後の逸話に残っている

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