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私は知覧ではなく、忘れられた特攻兵の祀られる鹿屋平和公園に行きました。同じ思いをもちました。私は終戦間近中国に生まれ、戦後も数年間中国でそだちました。北京の収容所には父や、一方的軍事裁判で死刑判決を受けた人たちが狭い部屋に6人で足を鎖と鉄球で数珠つなぎにされておりました。 x.com/MORIISeigo/sta…

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森井征五@MORIISeigo

返信先:@toshio_tamogami我『政治』に言上す。核廃絶と叫びながら海外に行かれた岸田総理。こい願わくば、知覧に行っていただきたい。自分は、三十代の時、知覧で終戦を迎えられた学徒兵少尉・奥田精一郎先生から薫陶を賜った。その自分などが知覧でたくさんの学徒兵の手記を目の当たりにして震撼した。二十代そこそこの若者が…

みんなのコメント

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日本の引揚船の最終で日本に帰るその時まで彼の国におりました。 当時北京収容所では数日に一度、銃殺刑が行われていました。残された日本人家族皆さん、我が夫、子どもが何時処刑されるか、知る由もない日々です。思い出すのもゾッとする光景が有りましたよ。長くなりすぎるのでやめますが

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