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「奄美大島と言えば黒糖」というイメージについてこれまで深く考えたことがなくて「暑いから米よりもサトウキビの方がよく育つのかな」などというぼんやりした印象を持っていたので衝撃を受けた かつては無理に作らされていたのか 私は本当に何も知らないな… pic.x.com/9sxgmkrbee

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ムグラシ@fkgwfkgw

みんなのコメント

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本当に、憤りしかないですね…

五十嵐衛@andonofuhkei_sj

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「江戸時代には『黒糖地獄』の歴史も。奄美大島の黒糖沼はあまりにも深かった!」 intojapanwaraku.com/rock/travel-ro…

ムグラシ@fkgwfkgw

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『奄美の債務奴隷ヤンチュ』名越護著 ですかね。 「黒糖は薩摩藩の貴重な収入源であり、それが明治維新につながる資金になった」は過言ではありません。 薩摩藩の闇は鹿児島県人も知らない人が多いのです。 西郷隆盛を偉人として崇められないという人は知ってます。

ななや@nanaya_voice

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(横失) サトウキビのために自分たちの食料を作る畑さえ与えられなかった島民は、強い潮風が吹き付ける事からサトウキビの段々畑が作れなかった山に、6万本の蘇鉄を植え、その実を食べることで飢えをしのぎました。ただし蘇鉄の実には猛毒があり、そのままでは食べることは出来ません――。(続く)

みなべ蔵之介 Minabe‐Kuranosuke 🇯🇵Osaka-Japan@tomorrows333

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薩摩藩屋久島支配は、貨幣を持つのは重罪、杉板を貨幣替わりに強制、全ての生活物資は薩摩藩から購入…貨幣がないので住民は島から逃げる事は出来ず(もちろん島から出るのも重罪)、全ての利益と税金は薩摩藩が吸い上げる構図。

BAJA野郎@b27e66

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奄美大島は言わば薩摩藩の植民地でした。財政難だった薩摩藩は高額で販売できる砂糖きびしか島民に作らせず米作も禁止し出来た砂糖きびは全て低額で買い上げ高値で転売しました。米作を禁止され飢えた島民は蘇鉄の実(有毒)を潰して晒したお粥を食べて生き延びました。これを黒糖地獄と呼びます。

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「砂糖」と奴隷制は世界的に相関性が高いですね。 pic.x.com/99s0m5mjhm

ぼのぼのとうちゃん@bonobono_6001

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逆なのだ、ここまで苛烈にしてもサトウキビ栽培って近代以前だと採算的に微妙なのだ。 サトウキビ栽培が採算的に合う様になったのは近代以降、化学肥料等の化学の進歩に依るものなのだ。 アラビア半島南部湿地帯開拓に使われた黒人奴隷「ザンジュ」も同じなのだ。(案の定反乱を起こす)

帝国兵下士官@teramotoMa39026

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横から急にすいません 終戦時(機械化前)で稲作地甘薯の割合が高いということは稲作難地域もおおいみたいですね 戦後に結局、稲作よりサトウキビと牧畜に農業がシフトしているのも確認できます 天保の飢饉みたいに農作物の自給自足から商品・流通への切り替えの難しさは現代も他人事ではないのかも pic.x.com/zusgfbdnwf

たかたかたか@gX6Z3bmALIFmNdr

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