ポスト
そのとき、大聖人は「立正安国論」の草案のため、岩本実相寺にこもっておられた。この実相寺と四十九院は、兄弟のような関係であったと思われる。四十九院のほうは現存しませんが、実相寺は現在でもそのままあります。
メニューを開くみんなのコメント
メニューを開く![](https://rts-pctr.c.yimg.jp/BgIFgYJGVIVv8u0nVJvw8B2FauAYMF4jOP5zFJAV4i5e72TLbER0xQeK1l8ZZ0OLswfvmWHo2C49MijARwgWzyPlssrvhqwOQvyuNmsGUhXcLJf1-EjMeY4hR_ZkIJH0zTwOnC_ovT-YAlMjt0CEkXWYrStUuS9X0YnFlASvBcT2EipkyX0vwtJn2S8lvVaQJyGjp9KnemwK0y2Mf42X2YD5vbegoKVukREEwunIQHI=)
当時、大聖人は国中の人から悪口をいわれ、批判と中傷の真っただ中におられた。そのことはすでに日興上人の耳にも当然はいっていた。 しかし、日興上人は当時の腐敗堕落した宗教界の実態を、日常生活のなかでいやというほど感じとっておられた。そして、純粋な日興上人は、