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↑ つづき 沖縄・渡嘉敷島。半農半漁で生計を立て、生活は豊かだった。瓦ぶきの大きな家で、祖父、父母、7人きょうだいの10人家族で暮らしていたが・・ 戦況が悪化すると、父は「防衛隊員」として現地召集された。家の8畳間は帝国日本軍に徴用され、8人の日本兵が生活していた。
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↑ つづき 1945年3月23日、米軍による島への砲爆撃が始まり、防空壕に家族で避難。27日に渡嘉敷島に米軍上陸。住民らは軍などの指示通り、島の北側の山に逃げ、日本兵が家族単位で手投げ弾を配った。だれかが「天皇陛下、万歳」と叫んだ。それをきっかけに、あちこちで爆発音が鳴り、悲鳴が上がった。