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末法は濁乱なのでその時が来るまでは大曼荼羅を安置しておくのだと主張。 ○1657(聖滅376)日精が家中抄草本で、弘安二年に「日興が身に宛て給わる所等とは万年救護本尊の事也、今房州妙本寺に在る也」と記録。日精の死後、31世日因がそれを改竄。↓

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○1662(聖滅381)日精が家中抄上巻で、弘安二年に「大曼荼羅を日興に授与し給ふ、万年救護の本尊と云ふは是なり、日興より又日目に付属して今房州に在り」と記録し、これは改竄されずに残った。 ○1957(聖滅676)堀上人は「富士日興上人詳伝」で、日興上人が身延から富士に移る荷物の中に、↓

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