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しかし原文書が存在せず、同時代の風説留などで見たことがない。「大日本維新史料稿本」にも載せられていない。それゆえ偽文書の可能性があると以前指摘した(拙稿「天誅組集合地『方広寺道場』とはなにか―忘れられた洛東「大仏」空間をさぐる」『さきがけ』第56号(NPO法人維新の魁・天誅組、2019年)。

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中村武生@busyo33

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8月14日、吉村虎太郎が母宛に書翰を記している。「此度天朝の御為中山公を大将として義兵を掲げ候」とある。同日、那須信吾も養父俊平宛に書翰を記した。「明日出陣」予定で潜伏先の薩摩屋敷を出た、「義兵を揚ケ徳川家譜代不尊王之大名を討取」る、「親征」を「手初」の仕事にするつもりとある。

中村武生@busyo33

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