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1432年に日有は「申状を幕府に呈し京に遊化」(富士年表)したのですが その時点では大石寺には正統を名乗る根拠が何も無くなっていた(それ以前の歴代の申状と比べると明らかに惨めな内容です)ので これが板本尊を模刻する直接的な契機となったと考えられます。 ↓

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ところが隣の寺の重須日浄からボロクソに批判されたために その後百年にわたって秘匿せざるを得なくなったのです。 しかし 板本尊も観心の本尊の一つなのですから事実の経緯を誤魔化さずに公開すれば良かったものを 法を歪曲し しかも法を隠すという「大聖人の仏法に背く」↓

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