ポスト
→ 疎開先の京都府から列車で京橋駅に着いた。その時、空襲警報が鳴り、防空壕へ。誰かが「静かにしましょう」と言った瞬間だった。爆音が響き、壕の外へ出た。 両手でそれぞれ子どもを連れた人が顔から血を流して歩いていた。頭を抱えた人が地面に転がっていた。がれきの中から顔だけ出た兵士の体を
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→ 安本さんは引っ張り出した。思い出すと、涙が出る。「僕は生き延びたから、死んだ人を供養せなあかん」 大阪市東部で1945年8月14日昼ごろ、米軍のB29爆撃機が爆弾を投下。東洋一とも言われた兵器工場「大阪陸軍造兵廠」(大阪砲兵工廠)を狙ったとされるが、造兵廠のそばの京橋駅も爆撃を受けた