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死に追い込まれた長屋王の一族の遺骸は、焼かれて都外の河や海に捨てられたが、長屋王の骨だけは土佐国に流すことにした。しかしその結果、土佐国の百姓が多く死に、天皇は紀伊国海部郡の椒抄(はじかみ)の奧島に長屋王の骨を置くことにした。『日本霊異記』のこの記述は、『続日本紀』の記述と異なるが pic.x.com/y5wcdkwnnh

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巫俊(ふしゅん)@fushunia

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長屋王と対立し、長屋王を死に追いやった藤原四兄弟が天然痘の大流行で、皆死んでしまうなどしていて、その災厄の原因が長屋王に由来するとの政府公式見解は作成されるに至らなかったものの、『続日本紀』が書かれた段階では、長屋王は無実だったと認識があったそうです。

巫俊(ふしゅん)@fushunia

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