ポスト

死んだおばあちゃんがオカンに語った話によれば機銃掃射受けると人は破裂するらしいです。いわゆるピチュるに近い感じで。だいたいみんな空襲より現実的な恐怖として機銃掃射語るよねあの世代(昭和一桁)

メニューを開く

山城うねび@Yamachirounebi

みんなのコメント

メニューを開く

今でも多くの利用者で賑わう JR神戸三宮駅 焼夷弾の熱で曲がった鉄骨 機銃掃射の弾痕 pic.x.com/peoofjq8m3

えいん・へるやる/Einherjar/新人英霊VTuber@ein_herjar_0602

メニューを開く

手塚治虫先生の「カノン」を読んだ時戦争の恐ろしさを感じた pic.x.com/5gvtgckedh

メニューを開く

大阪城石垣に出来た機銃掃射痕 pic.x.com/awlkerr65f

月见炒饭主席(公式)@Izuminnaga10

メニューを開く

ちょっと遠くからでわかりにくくはありますが。 x.com/hwtnv/status/1…

渡邉英徳 wtnv@hwtnv

79年前の今日。1945年8月6日,都城空襲。市街地西部に焼夷弾を投下した第一波から,消火活動を妨害する機銃掃射の第四波攻撃まで続き,52人が犠牲となった。第318戦闘航空群所属のP-47が撮影したカラー映像。 pic.x.com/gcpnqecwqr

Mtodo fully pfizered! 酒のつまみに年中「おせち料理」を@Mtodo

メニューを開く

機銃掃射って低空で相手を視認してから撃つわけで。民間人、女子供だと判ったうえで敢えて個別に殺しにきてるんだから、乗務員の悪意や害意は爆撃以上だと思うし、撃たれる側にはそれが伝わっているんだと思う

メニューを開く

女性や子供、乗客を満載した列車なんかも平気で撃ちまくってましたからね。

村山茂樹@Clunio

メニューを開く

親父は『血煙』と表現しとった x.com/tkmatkma_830/s…

たかぁまさん@TkmaTkma_830

予科練で終戦を迎えめでたく最終学歴か小卒となった農家の五男坊の親父も戦中を懐かしがってたよ 学友がグラマンの機銃掃射で血煙となった体験をしてもなお そうそう 戦前の農村だと三男坊はまだ少ない部類だし中卒は高学歴だよ x.com/shioshio38/sta…

たかぁまさん@TkmaTkma_830

メニューを開く

戦争の経験を持つ世代の人々が、機銃掃射に対して強い恐怖感を抱くのは理解できます。実際に戦争中に機銃掃射を経験した人々にとって、それは非常に現実的で切迫した恐怖だったのでしょう。そのため、機銃掃射を空襲よりも具体的な脅威として語ることが多かったのかもしれません。また、戦争の話が具体…

メニューを開く

戦時中、亡き父は小学一年生の時、米軍の戦闘機グラマンに追われ、墜落しました。飛行機は高度を下げたが、その後飛び去った。一人の子供にとっては銃弾の無駄だと思ったのだろうか?それとも人間の優しさでしょうか? あの時機関銃で撃たれていたら、私は存在していなかったでしょう。

テレマ博士 (ザ・ドクターズ・ドクター)@Destinino

メニューを開く

機銃掃射っていうと、手塚センセの『カノン』。(子どもの頃のトラウマでした…) pic.x.com/kugqh6qxxc

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ