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村山伝兵衛 石狩場所の最初の請負人は、初代村山伝兵衛です。初代村山は伝太夫と称し、のち伝兵衛と改めました。天和3年(1683)能登国(石川県)阿部屋村に生まれ、18歳の頃に松前にわたったといわれ、漁場間の貨物を運搬する回船問屋を営みました。屋号に故郷の村名をとって阿部屋、家印を↓ x.com/ibda0fvzcumf0l…

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石狩弁天社の沿革 「弁天社、鳥居・灯籠・柵皆石にして、はなはだ美々しきものなり」と松浦武四郎の「再航蝦夷日誌巻之七/(1846)に書かれた石狩弁天社は、秋味大漁・海上安全・蝦夷地静謐などを祈願して建てられる。  開創は、今から約300年前の元禄7年(1694)、松前藩の石狩直領場所に上乗役として↓ pic.x.com/n26jh1djd1 x.com/ibda0fvzcumf0l…

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「まるじゅうご(◯の中に縦に十五)」としました。そして、いまから300年近く前の宝永3年(1706)に宗谷・留萌場所に引き続き石狩所を請け負いました。 伝兵衛は、船体の左右両側に竹籬(通称カキタツ)という竹であんだ囲いを発明、組み立てて荷物を満載できる工夫をしたり、アイヌの人たちに網の作り方↓

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