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この時代、矢ヶ崎地区には沼地が広がり、土が見えている場所でも少し掘り下げただけで水が出てくるような状態でした。そこで、新道は盛り土をして造成され、旧中山道(現・離山通り)と交わる地点(現・離山交差点)まで一直線に敷設されました。 (つづく 4/5)

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いぬちゃん@inuchanbt

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ご覧の通り、新道沿い以外に人工物は見当たりません。 つまり、新道が出来る前、この付近には何もありませんでした。 新道沿いに10軒ほどの建造物が確認できますが、これらは工事関係の建物や、新道開通からの2年間に旧軽などから移住してきた人たちの住居などと考えられます。 (おしまい 5/5)

いぬちゃん@inuchanbt

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東急の所なんか、いまだに沼みたいなもんだしなあ、水がすごいよー

服部半蔵@VyrAe4jNAWIpGJg

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