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あまりにも論理の飛躍が大きいからです。私は、太田が自分で見聞、伝聞したことをそのまま記し、他の『信長公記』の諸本のように、浄書の過程の推敲で、この記述を落としたと考えています。浄書の過程で、記述を落とし、簡略化させた事例は、金子著書などでも実証されています。

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K・HIRAYAMA@HIRAYAMAYUUKAIN

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自分の考え(まだ検証ができていない)や、妄想に固執するあまり、自分にとって都合の悪い史料を無視するのは、歴史学ではありえません。都合の悪い史料が出てきたら、その史料批判を詳細に行い、その史料と既知の史料をあわせて考え直すべきなのです。

K・HIRAYAMA@HIRAYAMAYUUKAIN

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