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個人的に印象に残ったのは、「吉川家譜」の記述と花ノ江御殿にて敬親より経幹に贈られた「紅溜塗棗」でしょうか…🤔 棗の蓋裏に金漆の花押(敬親)と本体に描かれた二羽の鳥、「両家一和」の他にも何か政治的な意図が込められていたのかどうなのか…気になります🫣💭

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慶応2(1866)年の薩長盟約後、山口に戻った桂小五郎は岩国藩士の山田右門と会談し情報を共有…その際に山田右門が書き綴った「桂小五郎談話覚書」はとても内容が濃くて、メモを取りながら食い入る様に眺めてしまいました📝 ただ、解説シートがある事を(知っていたのに)すっかり忘れていたという…😂

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