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下記リンク四天王寺歴代別当に第39代永覚の記載がある。1066年〜1081年、ちょうど60歳ごろから15年つとめたことになる。所属は寺門派・園城寺。山門寺門の抗争が激しい時期にあたる。 大河では描かれないが兼家の父・師輔は元三大師・良源(第18代天台座主)の弟子となる。→ shinden.boo.jp/wiki/%E5%9B%9B…

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百済観音@WlyzunixY5KjoK7

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師輔による横川の復興や兼家の弟・尋禅が良源の次の天台座主になるなど、比叡山と九条流の結びつきは強固になる。岩蔵の宮が天台僧になった経緯はわからないが背景としては無視できない。 ちなみに往生要集を著した源信のほか、和泉式部と伝承上ゆかりの深い性空(圓教寺開山)も良源の弟子にあたる。→

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