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ある天部信仰の縁日法要の在家用勤行次第が一新され画像の通り現代語訳のみを唱和する形になってました お経は意味を理解してなくても唱える事で功徳やご利益があると言われてますが、お経ではなく現代訳のみを唱える行為は果たして勤行になっているのだろうか?現代の信仰について考えさせられました pic.x.com/lgjwkfgg4s

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みんなのコメント

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現代語訳になると、途端に慈悲の瞑想っぽくなりますね。 けして現代語訳版や慈悲の瞑想が悪いものだとは思いませんが、明らかにお経からは外れていると感じます。

なきりけい@senjutu_nakiri

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カトリックでも、文語調の主の祈り(天にまします我等が父よ)や天使祝詞(アベマリア)なんかが現代口語に替えられてしまって、宗教的なありがたみが薄れたような気がします。ラテン語だったら意味不明という点では漢音・梵音読誦と変わらないでしょうが、文語ならばあらまし理解できるんですけど。

麻川好史@asakawakoushi

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意味が分からない音列は獣の鳴き声と変わらない。 人を動かし世界を善くしたいのなら、その人が理解できる言葉に直すのが正しい。 それはそれとして、この現代語訳はヘタクソだと思う。

ぬーびー@noobei1

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