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三十三堂の通し矢 後白河院・崇徳院の間で起こった保元の乱。 崇徳院の呼びかけで馳せ参じた十津川郷士の弓の達人 蕪坂源太は、三十三間堂の廊下の端から端(120m)まで矢を射通し腕前を見せた。 中世の武人は刀より弓の扱いを重視し腕前を競い、射貫く、射切る、号令用など数種の矢を使い分けた pic.x.com/eiffx2s0ye
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お早うございます。 京都の友人(女性)が「自分の先祖は三十三堂の通し矢で最初に射通した人物だ」と何気なく語っていたことを想い出しました。とすれば、蕪坂源太の末裔という事に? 歴史のある話とは言え、蕪坂源太の血統に関する詳細は何ら伝わっていないのでございしょう?