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三十三堂の通し矢 後白河院・崇徳院の間で起こった保元の乱。 崇徳院の呼びかけで馳せ参じた十津川郷士の弓の達人 蕪坂源太は、三十三間堂の廊下の端から端(120m)まで矢を射通し腕前を見せた。 中世の武人は刀より弓の扱いを重視し腕前を競い、射貫く、射切る、号令用など数種の矢を使い分けた pic.x.com/eiffx2s0ye

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高野山まで歩こう!(新)@jQKnW3Lg7A85650

みんなのコメント

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おはようございます。 この乱から公家と武家の勢力が入れ替わっていきましたね。 両軍合わせて二千も行かなかったとしても、この頃の都は騒然としていたのでしょう。

タマゾウ【日本を愛する仲間達】@tamazo20221206

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通し矢のエピソード、「新選組婉曲録」で描きました。 bookwalker.jp/de087713ce-837…

夢酔藤山@musui_touzan

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高野山まで歩こう!さん、おはようございます。 本日もよろしくお願いします。

悪源太17騎@akugenta17ki

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